写真集 something unlimited |ギャラリー悠玄展での反応

美 ○ 会う

 

 「これは!」 という対象に出会ったときにカメラを向けて、フレーミング

をはじめとする 《 写真のもつ異化力 》 をたのしむ ――

そこにあるのは、対象が発する直覚的魅力を定着する というような

単純な意識ではない。

 

そうして撮りだめしてきたノンジャンルの写真の中から、

「飽きないテイストを発散するもの」 を自分なりに選りすぐり、

それをさらに、テーマ性というくくりで編集するのではなく、

異質な写真世界をあえて並置することで生成される 「微妙な共鳴」 を、

見出してゆく遊び…

そうして構成された30ページほどのフォトブックに対して、どちらかというと

派手なところのない写真世界に対して、はたして他者がどのような反応を

示してくれるのか?

 

過日、150人の作家が参加した美術展に、そのフォトブックを出品した。

12日間の会期中 私自身毎日会場に足を運んだことで、アーティストや

一般の方々のそれこそ個性的な反応を聞かせていただくことができた。

大変おもしろい体験をした。

 写真は他のアートにくらべてわかりやすいところがあるので、興味を

もってくれれば その印象をすなおに言葉にして聞かせてくれる。

 

 

 

この写真は、加藤哲さんのインスタレーションを撮影したもの。

まるで、エッチングのようだ ―― と評してくれた人もいる。

《 坐れない椅子の羅列 2009 》 巷房・2

 

 

 

ここには、すべてがある! 男女、年齢に関係なく、ここにすべてがある!

いうなれば… A to Z…

自分も、仕事(美容師)で、A to Z をめざしてやってきた… 

 

こう評してくれたのは、美容室を経営されているMさん(男性)。

この言葉には、写真集を媒介に、Mさんの美意識の強度を伝えてくれて

いるところがあり、「感じたことの言葉化」 ということが それ自体 美意識

に深く根ざした「真摯な創造行為」であることを感じさせ、うれしかった! 

 

 

貴重な空間の広がる写真集…

ひとつひとつがいとおしくなるような、

まさに(写真集の)巻頭にある言葉の通り… 

 

と、感想を送ってくれたのは、アートに造詣が深い旧友のS君。 

 

 

「写真集というより アートの感じ」 ―― こう評してくれたのはギャラリーの

オーナーであるGさん(女性)。

ひとこと 「美しい写真!」 と言ってくれて、そこにかえって言葉の重みを

感じさせてくれたのは 少女の魂を描き続けるイラストレーターのAさん

(女性)。 

写真全体に 清涼感がある、と評してくれたアーティスト(女性)もいた。

 

その人の創造世界を作品などを通して知っていれば、そのひとの発する

ことばには おのずと独自の響きが加わり、手ごたえを感じさせてくれる。

 

 

個々の写真に関しては、それこそ個性的な反応があってたのしかったが、

写真集の中に タイトルをつけるとすれば 「忘れられた夏の場所」 という

のがいいかな と思っている写真があって、それは避暑地の夏の光を反射

させている窓をもった静かなたたずまいの物置小屋の写真なのだが、

その明るい雲が写り込んだ白いガラス窓の風景に、

「空(そら)が住んでいる家みたい…」 と

詩的な表現をプレゼントしてくれた作家(女性)もいた。

 

 

写真集全体をとおして、反応が比較的集中する写真があり、それは

それで、うれしいものがあった。

しかし、感受世界はそれぞれの人間でそれこそ多様であり、ひとつとして

同じ内的宇宙は存在しないのだから、「個別の微妙なる世界」 こそを大切

にして その感受をたのしんでゆくことを人生上のポイントとするのならば、

感受のあり方は それぞれでよいのだ!

 

写真集の中に、ルイス・カーンというひとが設計したキンベル美術館の

外構の写真が1枚入っているのだが、展覧会の開催中に、この写真に

反応したひとは 実は一人もいなかった…(笑)

その写真に写っているのは、両側を打ち放しコンクリート壁で仕上げて

空間を端正にアーティキュレートしたまっすぐな園路で、やわらかな表情

をした自然石平板のステップと 沈んだ色合いの豆砂利洗い出しの平場

など、相互の取り合わせがじつに丁寧で、その全体が、木々の緑という

複雑系とともに うつくしく共鳴しあっている…

専門家の眼は、そういうところに感動してしまうのだが、それは専門家の

位置がそうさせている ――  ということだ。

 

 

アートの創造は、自身を問いつづける孤独な営為…

作者の熱が生みだした作品が 他者の〈共鳴〉を誘う…

そして、その〈共鳴〉は、多様そのもの…

〈共鳴〉の強度という点で たしかに普遍性の有る無しは存在し、

その中味はというと それは感受した人間によってさまざまであるが、

いずれにしても、〈他者の共鳴〉 は単純にうれしい!

他者の共鳴が言葉で伝えられ、作者自身が記憶の隅に追いやって

しまっていたがゆえに生じる虚をつくような指摘の感動があり、

ときには、まったく気づかなかったことを気づかされることもある。 

 

自分で生み出した世界は、自分自身よりも、他者こそがエンジョイして

いるところがあり、他者の共鳴の言葉は、そのことが暗示されている

よろこびでもあろう。