美 ○ 創造 美 ○ 思索
私は シンプルな造形が好きで、しかもシンプルでありながら「ゆらぎ」の
ゆたかさを与えるようにしている。
そこに、創造という深い営為のおもしろさがあり、同時に、困難さもある…
そして、あえて「連想」を誘わない「無意味で、しかも、見たことがない
ような独自の形体」を求めて、創造という自由な遊びをしてきた…
ここに掲載したオブジェの素材は、一昨年 (2022) 掲載した〈虚空の立体〉
で用いた0,2ミリ厚の薄紙と同じものを使用している。
カラープリンター用の上質な紙で表面がコーティングされており
くっきりとした印象の独特の白さをもっていて陰影の妙が立ち上がる。
立体の形を保持するうえでほとんど限界に近いこの薄紙で、物質感を消失
させた「幾何学的な平面」による独自の美的形体を複数創ってみた。
それらは、それぞれに個性をもった形であり、形体相互の関係と
スペース的な間合いを考えつつ、円形領域の中に配置している。
円形の領域は、外方向への空間的な広がりのベクトルをもっているので
個々の形体をやわらかくその領域の上で遊ばせてくれる。
こうして、そこに「 個立端整の形体群の異/和 」とでもいうべき《 景 》
が生みだされた…
円形基板は回転することができるようになっていて、この工夫によって
オブジェに向けられた観者の視線が、回転によってもたらされる
「ほんのわずかなアングル差による《 瞬間的な景の変化 》の妙」を味わう
ことになるかもしれない ────── そうした「《 微妙 》の中にひそむ
わくわくするような宇宙的時空感覚」とでもいうべき《意想外の感動》を
期待する思いが、私の中にあった ……
平面がかろうじて立っているかのような
紙立体の一部に小さく四角に切り取られた穴から光が通過している。
その立体の影の部分にできた 光の穴 を凝視していると
地面にすい込まれていく感覚に…
吸い込まれていくのは精神なのか肉体なのか…
──── 金子清美氏(美術作家)による独自の直感世界
円形基板上の8個のオブジェ群は
抱 / 支、交 絡、囲 重、空 / 未、芽 / 初、開 口、曲 / 直、挿 / 受 といった
「素純な造形原理」 によって創られているのだが
その「素純な造形原理」とは、われわれのまわりに遍く存在している
「形」あるものが、ある源初的な生成原理にもとづいて形を成している
───── そういう独自な視点によって探求された措定的な原理である。
いいもわるいも明々白々のリアルな形として存在させられているオブジェ群
は、形それ自体として《シンプルな美》を体現するようにしているのだが
そうした具体の形体の背後に、この作品を作品たらしめている隠された
コンセプトが存在しているということこそがこの作品の真骨頂であり
見た目の形体はシンプルな様相を呈しているものの、全的にはきわめて
デリケートな複雑系の世界である。
そういうことで、本作品は、表層の裏側に隠れている種々の脈絡を愉しみな
がら「〈人生時空の哲理 〉を形にした」ようなところがあり、したがって
本ブログを閲覧されている方々には、形体を 見る だけではなく、むしろ
それを 読んで いただけるとありがたい!…… と思っている。
今回の作品は、昨年(2023年)12月に東京京橋のアートスペース羅針盤で
開催された「第16回 Message Art 展」という佐藤省氏(美術作家・アート
ディレクター)が企画するグループ展に出品されたものである。
多くの方々から本作についての感動のことばをいただいたが、作品が介在す
ることで、特別に妙味のある対話ができたことがなによりもうれしくありが
たいことであった。
アート作品は、完成すると作家の手を離れてそれ独自の世界を生きていく
──── 確かにそのことは一面の真理だが、しかし私は、自作を介して
美感覚の鋭敏な方たちと、具体のことばによって、作品に感じた印象とか
そのほかの思念のやりとりを愉しむ ……
ふだんは意識にのぼらない「人生時空の深遠につながるような思い」が
アートが介在するがゆえにふつふつとする ──── そういう、そのとき
一回限りの時空を、とてもいとおしく感じてきたのである。
ところで、この機会を利用してぜひ記しておきたいことがある。
一回限りの人生をゆたかに生きるためには、自身があらゆるフェーズで創造
的であること、そして、内面宇宙が共融できるよき他者をもち、その無限性
の共融世界を愉しみ、大切にすることであろう。
人生時空の新鮮さと深さの醍醐味は、いまこの時の《瞬間》の中にある。
深く広く考えることも大切だが、《自分の軸》で、とにかく実行すること
である。
この現実の時空はゆたかさに満ち満ちている!
現実の時空は、いいもわるいもミックスされた世界であり、片方だけでそも
そも成立するものではない。ネガティブもきわめてありがたいことなのだ。
現実の時空に存在している《リアルな形》について眼を転じてみると
まず、人間が生みだすものは、人間存在の外の「自然界」は絶対生みだすこ
とはできない、というあたりまえの真実に気づく。
このことをまず最初にきちっと認識しておくべきであろう。
そして、人間が生みだす《リアルな形》のうち、《機能をもった形》は
考えてみれば不思議な形をしている。 《機能》の求めに応じて生まれる形
なので、それは力強さを有し、しかも、はじめて形にされるときのことを
想定してみると、ある「単一の機能あるいは複合的な機能」に応じて
それ以前には見たことがないような奇妙で不思議な形を体現していること
に気づかされる。
そして、機能的な形をつくるときにも、《本能》に根ざした人間固有の
《美意識》がおのずと動く。 しかし、あくまでも、美意識云々の以前に
《機能》が前提されているのである。
《アート》における表現体は、創造する人間の内面宇宙との往還で生まれる
が、そこに、先天的な才能とか、美的感覚とか、偶然性とか、脳と密接に連
動する手の動きとか …… 複雑系の宇宙が動き、そのすべては、明確には説
明できぬ《丸ごとの世界》である。
そして、つねに、「未知なる世界」への探索であり、だからこそ、《新鮮》
である。
人生のプロセスにおける経験と記憶が、無意識的内面宇宙の《連想》を動か
し、内面宇宙内の想像できぬ複雑な脈絡と感覚器官を通したイメージとが
融合して、たとえば《具象的》な絵画とか立体作品などが生まれる…
そして、外界に存在する具体的な形とある意味の距離をたもちつつ、創作者
自身の無限性の内面宇宙の脈絡の中をさまよいながら、「これだ!」と閃く
直観的なアイデアの湧出に遭遇し、《抽象的》な表現体が生まれる…
いずれにしても、創作者は、自己が体験してきた世界を超える「新鮮な独自
世界」を見たいのだ。
機能的な形とは一線を画する《自由な表現体》を、自立的に生みだし、愉し
むためには、創り手が生きている時代とか、文化とか、あるいは、自己の
過去の記憶と連想性などと、脈絡をもちつつも、その全体を超越する
《自分自身にとっての真に新しい世界》を求めるしか道がない。
それは容易なことではないし、迷いの旅路でもあるが、だからこそ
その探索は醍醐味があるのである。
アートを生みだすことを愉しんでいるその人間自体が、この宇宙が生み出し
た存在なのだから、とにかく、この宇宙のスゴサは言語を絶しているという
のではまだ足りないくらいの《無限性の奥深さ》のスゴサである!
人間存在は自然系の内側にありながら、しかし、その人間の自律的な知は
宇宙の一部の一部の… ごくごく一部の範囲にしか永遠に及ばないにちがい
ないのだ! ───── このことこそが根底的なこの宇宙の矛盾であろう。
自己と他者 ─── 自分のことは自分が一番よくわかっていると簡単に考え
がちだが、実は、自己の持ち味を味わって愉しんでいるのは他者なのだ!
そうはいうものの、他者が創造したものや与えられた世界を受動的に味わう
だけでは、決しておさまらず、創作者は、唯一無二の自己独自の宇宙の中を
探索しつづける…
写真:筆者撮影
Copyright© Hata Ryutocu. All rights reserved.
2024年2月26日
美 ○ 会う 美 ○ 創造 美 ○ 思索
《本》という人生に寄りそう存在───その本の形を異化する営為が見事なかたちで結実したきわめて秀逸な展覧会があった。 素材が《本》なので、異化の営為というプロセス自体が作家当人にとって《 人生という宏大な宇宙 》を深く見つめる特別の時間になったという。
作家によれば、縁あって出会った文庫本を、解体、一頁ごとに折りによって半立体化する営為は三年以上にわたったという。
その時間は、言の葉をとりわけ大切にして創造的に日々を生き、視覚的な表現体の優れたクリエイターでもある氏の ── 内面世界と実時空とを自由に飛翔往還する感覚的な宇宙の旅 ── であったのだと想う…
作家の佐藤氏は、本の装丁に違和感を感じるとその本の表紙とか挿絵を自身の手で描いたもので創りなおしたりすることもしてしまう人だ。
今回の展覧会に並んでいる解体/再形体化された文庫本は、本のタイトルに惹かれ対象にしたものを含め、氏の内面になんらかの響きをもたらした120余冊…
既存本の異化造形は、つまり、本という「著者の人生時空の結晶」の《 他界 》の試行 ─── というギリギリのところでの営為だ。
それが控えていると、行きつけの古本屋で目にとまり不思議な縁を感じながら購入した文庫本を熟読することになってしまい、また、かつて読んだままになっていた蔵書の文庫本をふと取りあげて自ずと丹念に再読してしまった… と氏はふりかえる。
それは、いわば ─── 惜別の読書!───
本展は、作家にとっての「人生に絡み合う《 知の底 》との触想」の軌跡の ──多層的連想を誘う淡い造形詩──であり、作家のこだわりが手の温もりと共に伝わってくる愛着の《 人生詩 》でもあったと思う。
展覧会が開催されたギャラリーは個性的な独立した建物で、ギャラリーの入口を入った客は、室内空間いっぱいにびっしりと並べられた紙の造形物にであい、「これは…
スゴイ!」と目が釘付けになってしまう。 「DMからはまったく想像できなかった!」と 客の声がする…
2600余の同じ折り方の半立体がリズムをつくりながら並んでいて、でも、どれひとつとして同じものはなく、折られた半立体の個々の形と陰影が、微妙に変化しつつ連なり、しかも、場所によって唐突な変化も見せて… そうして、全体の並びの行と列とが、ゆるやかに蛇行し、広がっている…
その様相は、風でゆったりとうねる水面さながらの沈黙のウェーブ………とでもいうのであろうか。
しかし、個々の紙の立体はしっかりとそれぞれの形姿を顕示しているので、手仕事と自然的なゆらぎの景との共融が、こちらの視覚を泳がせ、宙吊り状態にされてしまう…
折られた素材は文庫本の頁の一枚一枚だから、古い本は紙の色が変化したりして、その色の違いが全体の景の中に、融けるように島状に浮かんでいる… それが、なんとも言えぬやわらかなメリハリを景にあたえていて…
ぬくもり感とともに、幾何的なムーブメントが、独特の美で息づいている…
ギャラリー内には天井中央のトップライトを通してしずかに天空光がそそぎ、壁はコンクリートで、木の床の上に並べられた折りの個体群は壁との間に人がぎりぎり通れる余白を残して空間一杯に展開されているので、《 硬質な壁面 》と《 紙の 軽やかでやわらかな印象 》とが心地よい対比で融和している。
この作品は、ギャラリー空間の特質を最大限に生かした《 空間共融 のアート 》であった。
《 特 時/特 場 の 瞬間的アート 》であり、つまり、一回限りしか出会えないアート!
外周の壁面には解体された120余の文庫本の表紙が点々と配置され、また、トップライトの大きな上部吹抜けの近傍に表紙が宙に吊るされ、かすかな空気の動きに反応している……
表紙のタイトルは見えるようになっていて、その配置にあたって、ここは!…という場所には、文庫本の中身に応じてジャストなものが選定され、作家の話を聞くとその意味合いが納得できる。
展示全体が、あくまでもさりげないありようで、またちょっとした気のきいた創意があちらこちらに込められていて、腰窓から望める〈坪庭〉との関係もふくめて、「眼にはいる《全体の雰囲気》をこそを調和させたい!」───という作家の強い美意識が伝わってくる。
文庫本の解体/再形体化という長い時間の過程は、作家自身にとって、単なる作品創りというよりは「生きる時空そのものを深く考える《いまこの時》の新鮮な営為」であったのであり、一方、来廊者にとっては、展示されているものが《本》という特別の素材に由来する表現体であるので、感覚とイマジネーションとがおのずと《宏大な世界》へと誘われてしまう特別な自由時空を醸していた。
そして作家自身が、、ギャラリーに作品を搬入するときから、折りの半立体のギャラリー空間中への展開をわくわくしながら行い、日々会場で、光の推移とともに移ろう景を確かめ、愉しみ、そして、来廊した他者と共に《この世界の妙》を想う───という贅沢で幸せな時間をゆったりとすごしたのだと思う。
別の表現をすれば、作家自身にとっての作品制作と展覧会は、ことばの世界を介しながらも「言の葉を超えた《人間内奥の無限宇宙への自由遊戯》」ともいうべき営為であったのであり、展示を訪れた他者は、《本》という特別なものが異化された《明瞭に立つ具体の景》を眺めつつ、解放の気に抱かれて思い思いの時間を過ごす ─── そういうゆたかな《響き合いの空間》であった。
今回の佐藤省氏の創作行為と作品は、通常のアートのあり方とはまったく異なる、言わば《異次元の時空》との遭遇であった!
その昔 父親の蔵書にうもれて育った氏は、今回の展示を
今は亡き父に見せたかった…と。
写真:筆者撮影
Copyright© Hata Ryutocu. All rights reserved.
2023年4月15日
美 ○ 創造 美 ○ 思索
厚さ 0.2ミリの《白色の面》が生みだす光と影の世界…
ボリューム感が消え クリアにそこにある表相と
やわらかな陰影とが対比しつつ混交する…
「眼とイマジネーションの脈絡宇宙」が、定位せずに
浮遊していく…
訴求力の強いアート作品とはここが異なり、観者が
作品によって限定的世界に強く引きこまれてしまう
のではなく、逆に、作品のやわらかな存在性から
「きっかけ」をもらいつつ内面宇宙の脈絡が自律的に
自由に生動していく─── そんな淡い浮遊的な世界…
作品の根底には、《重力》と「それがもたらす世界感覚」がある。
重力のもとでは、水平面から分離して立つ物質は最小限
3点で支持されることで安定する。
「くの字」に曲げた紙は、同じ原理で安定的に立っている。
その「くの字」の垂直方向の面に《水平の面》を付加する── この構成を点形の形姿の出発点にすえ、さらに基板上に伏せた水平面 あるいは 浮かせた水平面に垂直や斜めの面が絡まり、ゆらぎをもった複合景を形成している。
(折れ面を構成するすべての面が、単純な矩形またはその組合せでできている)
この作品は、個々の点形の《配置》が、作為的に決められていない!
点形の形姿を検討するために、マケットを0.2ミリ厚の紙で作っていたのだが
展覧会の展示台の寸法にあわせて予め用意してあった正方形のマット紙の上にマケットをできた順に奥のほうから並べていた ─── その偶然の《配置》がとても美しい景をつくってくれていたのだ…
明るい自然光が射し込むアトリエのテーブルの上にマケット群が置かれていたのだが、それをたまたま逆光方向から見た瞬間のことだ!
まわりの空間からくっきりと浮きあがる「物質性の消えた矩形の軽やかな表相」の明と暗とが重なりあい、視角のちょっとした移動で大きく変化する…
そして、きわめて繊細なグラデーションを呈するやわらかで美しい陰影がそれを包み込むように寄りそう…
これまでに体験したことのない《妙なる景》との出合い!
「ひかりの世界」へと ─── 導かれたような作品!
ふりかえれば、マケット用の紙の選定が幸運を導いたのだ…
それは、水性インクのプリンター用紙であり、表面のコーティング材は、独特のホワイトだ。 その独特の「光線の全反射性」が超現実感覚を誘っている…
そして、0.2ミリという紙の薄さが「物質的な存在感」を完全に消失させ、三次元的立体を非現実化して、《光の純化世界》を出現させた。
それに加えて、非恣意的な構成による配置───という「ゆるさ」の力…
こうして、「明確な把握」が特質の《視覚》に対して、
その視覚感受の「慣性」を超越した視覚の脈絡宇宙を拓かせてくれた…
「慣らい性」は感覚世界でも強固に基盤をつくっていて、そこを脱け出すのは非常に困難だが、この作品は、
「質量感のない白色の片」と「霧のような陰影」とが共融して、観者を《視覚慣性の外》へと宙吊りにする…
「想像運動の慣性」を超越させる《ゆるさと共にある希薄な存在》のもつ力…
この作品は、昨年末(2022年)に東京京橋のアートスペース羅針盤で開催されたMessage Art展(*-1)に出品された。
本稿に掲載した作品写真には、私のアトリエの室内に拡散したソフトな自然光のもとで撮ったものと、ギャラリーの人工照明(LEDスポット+蛍光灯)のもとで撮ったもの、との2種類が含まれている。
これまでに記した作品に関する論は、アトリエでのやわらかな光線の中で作品を見たときの印象をベースにしている。
ギャラリーでの作品は、当然のことながら明暗のコントラストが強く出て、アトリエでの印象とは相当異なるが、
でもそれはそれで、より訴求力の強い見え方をしていて、多くの方々の口から「美しい!」という言葉が発せられるのを耳にした。
本作に「光と影の階調のゆたかさ」を感受された
召田能里子氏が偶然に捉えた共融美の写真 (*-2)
私のアトリエでこの作品に接した現代美術作家の金子清美氏(*-3)は、作品に対する次のような印象を伝えてくれた。
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それはまるで自ら場を選んで立ち上がってきたかのようにそこに在る。
11個の立体物の連なるその空間は白色景となり
あらゆる思考の敷居を飛び越えさせる…
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同展の企画者である現代美術作家の佐藤省氏は、ユニークな視点からの丁寧な作品評を寄せてくれた。 以下にその作品評を掲載させていただく。
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照明を浴びた紙の、頼りない薄さが台紙から立ち上がっている形は、それぞれの形状をその位置に確保し、影を落としているのだが!─── 存在感はほとんど無く… それが、現実感を喪失していて…
前回の作品(*-4)が、非常に形の内奥をこだわり、それぞれの位置関係や影を細密に予測しての紙の姿だったのに比べてみると…
前作は作品範囲をきっちり決めて、結界を張っているようにも見えていたが
今回の作品は、地平へどこまでも広がっていくような…
自由に紙片が動いて見える。
こちらの角度から… と作家は作品を見る方向のことをを話していたが、その角度は確かに影が多重に重なり合って、人工照明によるごく微妙な分光現象をふくめた「立体の存在感」は素晴らしいのだが、しかしそれは当然のようにも思え、
逆に真っ正面から照明を浴びた、影の無い真っ白な形状が、妙に心にグサリささる。
何故なのだろうか?
この視角だと、影が無いのに、重なり合う形状が永遠と
彼方へどこまでも連なっていくように感じさせる…
影は、形を限定してしまうからかもしれない。
影は、存在を浮き立たせながら… 時を刻むように、紙片そのものに潜む何か!─── を奪っていってしまうようにも感ずる。
際立つ白さの美しい紙片の織りなす世界ゆえに、あれこれ思う…
毎年、今回の作品の方がいい!───と思わせる作品を
生み出せるのは素晴らしいことだ。
これは、創造世界における作家の「許容量」の問題なのかもしれない…
佐藤省 記
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本作品に関する印象を、
現代美術作家のDominique HEZARD (ドミニック.エザール) 氏は、「線、光、オープン」…と、シンプルに三つのワードで語られ、また、吉田貞子氏は、「(形が)無造作に置かれている … 構築を崩していくその過程 …」と、間を置きながら話された。
赤川慶祐氏は、「つかみどころがない… 癒される…」と語り、照明の当たる側ではビル群とかベンチの人とかに
見えたが、反対側に廻ったら、こんどは「影の美しさに
出会った!」と。
このような感想の言葉が鏡になって、その語り手の内面のさまざまな様相が察せられるのだが、私にとってはそこがおもしろい。
語り手が造形作家であれば、この世界の形あるものの
「本質」をどう捉えているのか? 関心をもっているのか? ─── そういう面を、見当違いをふくめて勝手に想像するたのしみが湧いてくる… こちらが、その作家の実際の作品世界を知っている場合は、その世界との対照ができるから、語られた言葉の内容がその作家にとってどれほど基盤的なものであるかが推察されることもあり、たのしみがさらに本質的なものへと深まる…
ところで本ブログの中に、さまざまな発想の自作オブジェが掲載されているが、
たとえば、《水影》という作品は、山中の湿気をふくんだ夏の空気と明るい空の景、そして緑に覆われた山の斜面…といったものの漠然とした全的印象を、陶土を用いて形にしたら一体どんな形になるのだろう?─── と、自分の見えない内面宇宙の脈絡の創造性を遊んでみた作品だ。
たまたま、その場所に陶芸作家の大きな工房があり、そこをお借りすることができたので形象化をすることができたのだった。
制作に先立って はっきりした造形のイメージがあったわけではなく、創作過程の中で瞬間瞬間にさまざまな美意識(たとえば、形のエッジをどう仕上げるか?…など 細かではあるが非常に重要な判断などをも含む壮大な宇宙の運動)が動き、その結果、思ってもみなかった形が眼の前に出現する! アートの美の創造には、自由な生のすべてが
かかわっていて、奥行が無限で実に壮大である、と思う。(*-5)
ちなみに、私は、Message Art展には第一回展から参加しているのだが、この展覧会は、今では ほどよい人数の作家たちが年一回集い、作品発表を行う貴重な場として純粋なかたちで機能していて、選ばれた作家たちがよい意味での緊張感をもって参加されているように感じる。
こういう発表の場があることはとても幸せなことであり、
自分も「今このときの 真に新鮮な作品」をこの場に持ち込むことで、展覧会のたのしさと、それを介したひととひととの関わりの妙を、私なりにすこしでも盛り立てられれば ─── と、ずっとそう思って参加してきた。
*1 ── Message Art展は、現代美術作家である佐藤省氏の企画展で、年一回12月に開催されてきた。
今回は第15回展である。
会場はこれまで何回か移動してきているが、一昨年から、京橋の〈アートスペース羅針盤〉で開催されている。
*2 ── 今回のMessage Art展に「蔵王のお釜」に因んで二重構造のすてきな陶オブジェを出品されていた作家。 「眼に見えないもの」に照準をあわせて作品制作をされているとのこと。
*3 ── 筆者設計の建築作品の中でアートウォールを制作してくれたことがある現代美術作家。アート作品に加え、秀逸なインスタレーションを多数見せてくれている。 本website および blog内に掲載されている氏の作品の中のいくつかを以下に掲げておくので参照されたい。
証券会社サロン のアートウォール 2005年 → www.ops.co.jp/ops016_17.html
同 上 → www.ops.co.jp/ops016_18.html
足利CON展 インスタレーション《束の間》2018年 → http://ops.co.jp/wp/?p=1974
*4 ── 本ブログの中に、同作品に関する自作論があるので参照されたい。
http://ops.co.jp/wp/?p=2729
*5 ── http://ops.co.jp/wp/?p=2264
写真:筆者撮影
─── 本文中(*-2)の写真:召田能里子撮影
2023年1月20日
美 ○ 創造 美 ○ 思索
この作品は、小スケールで、二次元平面から立上がる
きわめてシンプルな形体をつくり、物質的な「形の存在」
と、その「近傍の空間」との 感受されないか、されるか
の きわどい共融のありようを、美的な状態で具体化する