全体美と部分間共鳴 | RINZ カフェギャラリー

美 ○ 創造

 

 

 

 

まちで見かける 手書きや手作りの個性的なメニュー看板 …

 

 

きちっと作られた固定看板が、

周囲の環境のあり方との対照関係で大なり小なり視認され、

通常の雑然とした環境の中にあって、

「看板全体としての整序の力」 をデザインに生かそうとする

のに対して、

 

日々、掲出内容を更新できる店頭の手作り看板の方は、

見る側の眼を 部分部分の情報に向かわせる注視性を有し、

したがって、看板全体の整序美というよりも、

「親しみを感じさせる おもしろさ」 というところで、

ユニークな表現が生まれる自由さがある。

 

「テンポラリーな性格のもの」 の中に現われる

多様な個性のゆたかさ …

 

 

写真は、前回の文章で紹介したカフェギャラリーのメニュー看板。

 

埼玉県東松山市に RINZ/Bakery Cafe   あ~との国

( Rinz Gallery+ を併設 ) が、今年2月にオープンした。

 

看板は、そこでアートディレクターを務めている金子清美さんの

手作り即興だ。

ふかふかしたパンのイメージが生かされたデザインで、

それとなく人目を惹いて、グッド …

既存の小椅子を利用して、その上にピンナップボードをのせ、

そうした制約の中で、臨機応変にボード面の構成を考える …

 

そこに、キッチリ決められたものには欠落しがちな

〈テンポラリーの軽やかさ〉 のようなものが漂う …

 

 

 

写真:金子撮影

*あ~との国は 2014年2月にRINZビルから移転しました。

 

手作りのフロアランプ | 金子清美作品

美 ○ 創造

 

 

 

 

 

 

 

写真は、あるカフェギャラリーのために手作りされたフロアランプで、

大型のガラス瓶の中にLED光源を仕込み、外側を特殊な紙で

くるんだだけの単純な構成ではあるが、紙のくるみ方がユニークで、

市販品にはない複雑微妙な陰影が とても柔らかで、美しい!

見る角度を変えると、微妙な表情が、大胆に、変化してゆく…

制作したのは、私のアトリエのパートナーであり、現代美術作家でも

ある金子清美さん。

 

 

売ることを目的にした量産品は、それが優れたデザインのもの

であっても、量産に適した素材の選定とか 組み立て方式とか、

最終的にはコストという条件に制約された中での可能性である。

 

一方、そのモノが置かれる場所の具体的な条件を読み込んで

より自由に発想すれば、現代的な魅力をもったデザインの

可能性が、思わぬかたちで姿をあらわすかもしれない…

 

本ホームページ Furniture のところに掲載してある

片手で軽々と持ちあげることのできる スツール moonwalk  は

それが使用される住宅の住まい手が、スツールを丁寧に扱って

くれることがわかっていたので、そういうデザインが実現した

のだった。

 

販売された後、どういう場所に置かれ、どういう使われ方を

されるのか ―― そこに一定の幅を見込まなければならない

のが量産品であり、その場合は、当然に、強度的な面で

安全側のデザインがなされ、結果、とかくドテッとした姿の

ものになりがちである。

 

 

手づくりしたものの場合、やけに作り手の個性が強くでたり、

あるいは、どこかで見たようなコピー的なものになったり、

真に優れたデザインは めったに生まれないのも事実。

 

でも、そうだからといって、ハイスペックで無難な量産品に

選好意識が安易に短絡してしまうのは さびしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真:筆者撮影

 

異形の庭 | 佐藤省 個展

美 ○ 創造

 

前回のブログで書いた佐藤省さんの展覧会は、

来廊者それぞれの眼に 独特の印象を刻印したようだった。

 

展覧会の会場は、住宅地の中の一軒家を改造したもので、

昔の木造車庫が 小屋組みの見えるギャラリー空間に改修され、

隣接する和室空間には 床の間があり、

縁側越しには 緑豊かな中庭が望める ――

そういう、いわば 〈気取りのない空間〉 なので、

観者は、空間に馴染んだ状態で 作品にゆっくりと

接することができたのではないかと思われる。

 

展覧会の実際の空気と その中での作品の印象は、

断片的な写真を並べてみても、伝えることはできない。

住宅部分を含む展示空間の全体は、ホワイトキューブとは違って、

さまざまな性格をもつ部分空間の集合体であるが、

それぞれの部分空間にふさわしい作品が厳選され配置されるとき、

実際の空間では、観者の 「相互に性格を異にする空間から空間への

《移動》」 が、展示作品とまわりの空間がセットになった感覚体験の

 〈相互異質性〉 を 違和感なく内面に共存させてしまう役割をはたして

いることに気づく。

 

そういう 「空間性と共にある プロセス的な作品対話」 というものは、

「断片としての写真の並置」 から受ける印象とはかけ離れたもの

であることを踏まえつつも、あえて 筆者が撮影した写真を以下に

掲載してみたいと思う。

(→ 写真をクリックすると拡大写真が見れます)

 

 

 

 

 

               ギャラリー空間

 

 

 

 

   〈刻を落下する花の発光〉

 

左側の写真の額は、生命的自然との日常の対話からうまれる

作家の感興を トレーシングペーパーの向こう側に昇化させた

肩ひじはらぬ微音的世界を、白壁にそっと凹部をつくって

さりげなく飾れたら… というイメージで 筆者がデザインしたもの。

額の 「額然とした様相」 を限りなく消して、簡素化してみた。

 

 

 

 

 

 〈光を通過する風のゆらぎ〉      〈風の成す形〉

 

和室の奥の屏風の前の暗がりの中に、一点、静寂の灯りが

ともされ、その上に、透光性の作品が置かれた。

ここは、展覧会場の一番奥の位置にあたるので、いろいろ作品に

接したその最後に、観者は この美しい透光の世界に 沈潜する…

この透光作品をみて、作家が表現したい世界がすっと

つかめた ―― と感想を話していたアーティストもいた。

なお、ライトボックスは、筆者が 10年程前に AZAMINO house

 のためにデザインしたムーバブルワゴンを転用したもの。

→ 本ホームページ Furniture のところに掲載

 

 

 

       

         〈海〉

 

 

 

 

写真:筆者撮影