《本》の異化造形──感動 と 増幅された《内なる迷宮》への誘い_                         佐藤省作品

美 ○ 会う 美 ○ 創造 美 ○ 思索

 

 

《本》という人生に寄りそう存在───その本の形を異化する営為が見事なかたちで結実したきわめて秀逸な展覧会があった。 素材が《本》なので、異化の営為というプロセス自体が作家当人にとって《 人生という宏大な宇宙 》を深く見つめる特別の時間になったという。

 

作家によれば、縁あって出会った文庫本を、解体、一頁ごとに折りによって半立体化する営為は三年以上にわたったという。

その時間は、言の葉をとりわけ大切にして創造的に日々を生き、視覚的な表現体の優れたクリエイターでもある氏の ── 内面世界と実時空とを自由に飛翔往還する感覚的な宇宙の旅 ── あったのだと想う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作家の佐藤氏は、本の装丁に違和感を感じるとその本の表紙とか挿絵を自身の手で描いたもので創りなおしたりすることもしてしまう人だ。

 

今回の展覧会に並んでいる解体/再形体化された文庫本は、本のタイトルに惹かれ対象にしたものを含め、氏の内面になんらかの響きをもたらした120余冊…

 

既存本の異化造形は、つまり、本という「著者の人生時空の結晶」の《 他界 》の試行 ─── というギリギリのところでの営為だ。

それが控えていると、行きつけの古本屋で目にとまり不思議な縁を感じながら購入した文庫本を熟読することになってしまい、また、かつて読んだままになっていた蔵書の文庫本をふと取りあげて自ずと丹念に再読してしまった… と氏はふりかえる。

 

それは、いわば ─── 惜別の読書!───

 

 

本展は、作家にとっての「人生に絡み合う《 知の底 》との触想」の軌跡の ──多層的連想を誘う淡い造形詩──であり、作家のこだわりが手の温もりと共に伝わってくる愛着の《 人生詩 》もあったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

展覧会が開催されたギャラリーは個性的な独立した建物で、ギャラリーの入口を入った客は、室内空間いっぱいにびっしりと並べられた紙の造形物にであい、「これは…

スゴイ!」と目が釘付けになってしまう。 「DMからはまったく想像できなかった!」と 客の声がする…

 

 

2600余の同じ折り方の半立体がリズムをつくりながら並んでいて、でも、どれひとつとして同じものはなく、折られた半立体の個々の形と陰影が、微妙に変化しつつ連なり、しかも、場所によって唐突な変化も見せて… そうして、全体の並びの行と列とが、ゆるやかに蛇行し、広がっている…

その様相は、風でゆったりとうねる水面さながらの沈黙のウェーブ………とでもいうのであろうか。

しかし、個々の紙の立体はしっかりとそれぞれの形姿を顕示しているので、手仕事と自然的なゆらぎの景との共融が、こちらの視覚を泳がせ、宙吊り状態にされてしまう…

 

 

折られた素材は文庫本の頁の一枚一枚だから、古い本は紙の色が変化したりして、その色の違いが全体の景の中に、融けるように島状に浮かんでいる… それが、なんとも言えぬやわらかなメリハリを景にあたえていて…

ぬくもり感とともに、幾何的なムーブメントが、独特の美で息づいている…

ギャラリー内には天井中央のトップライトを通してしずかに天空光がそそぎ、壁はコンクリートで、木の床の上に並べられた折りの個体群は壁との間に人がぎりぎり通れる余白を残して空間一杯に展開されているので、《 硬質な壁面 》と《 紙の 軽やかでやわらかな印象 》とが心地よい対比で融和している。

 

 

 

 

 

 

 

この作品は、ギャラリー空間の特質を最大限に生かした《 空間共融 のアート 》であった。

 

《 特 時/特 場 の 瞬間的アート 》であり、つまり、一回限りしか出会えないアート!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外周の壁面には解体された120余の文庫本の表紙が点々と配置され、また、トップライトの大きな上部吹抜けの近傍に表紙が宙に吊るされ、かすかな空気の動きに反応している……

 

表紙のタイトルは見えるようになっていて、その配置にあたって、ここは!…という場所には、文庫本の中身に応じてジャストなものが選定され、作家の話を聞くとその意味合いが納得できる。

 

展示全体が、あくまでもさりげないありようで、またちょっとした気のきいた創意があちらこちらに込められていて、腰窓から望める〈坪庭〉との関係もふくめて、「眼にはいる《全体の雰囲気》をこそを調和させたい!」───という作家の強い美意識が伝わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文庫本の解体/再形体化という長い時間の過程は、作家自身にとって、単なる作品創りというよりは「生きる時空そのものを深く考える《いまこの時》の新鮮な営為」であったのであり、一方、来廊者にとっては、展示されているものが《本》という特別の素材に由来する表現体であるので、感覚とイマジネーションとがおのずと《宏大な世界》へと誘われてしまう特別な自由時空を醸していた。  

 

そして作家自身が、、ギャラリーに作品を搬入するときから、折りの半立体のギャラリー空間中への展開をわくわくしながら行い、日々会場で、光の推移とともに移ろう景を確かめ、愉しみ、そして、来廊した他者と共に《この世界の妙》を想う───という贅沢で幸せな時間をゆったりとすごしたのだと思う。

 

別の表現をすれば、作家自身にとっての作品制作と展覧会は、ことばの世界を介しながらも「言の葉を超えた《人間内奥の無限宇宙への自由遊戯》」ともいうべき営為であったのであり、展示を訪れた他者は、《本》という特別なものが異化された《明瞭に立つ具体の景》を眺めつつ、解放の気に抱かれて思い思いの時間を過ごす ─── そういうゆたかな《響き合いの空間》であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の佐藤省氏の創作行為と作品は、通常のアートのあり方とはまったく異なる、言わば《異次元の時空》との遭遇であった!

 

 

その昔 父親の蔵書にうもれて育った氏は、今回の展示を

今は亡き父に見せたかった…と。

 

 

 

 

 

 

写真:筆者撮影

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