原寸世界の〈あたりまえ化〉 を破って生成する 視覚詩 相澤秀人作品
作家の相澤秀人さんから電話があり、いつもの控えめな調子で
時間があったら作品を見てください … と。
3日間の共同展で、その展覧会のタイトルは、
―― Lost Modern Girls ――
( 昔から、自立する女性、強い女性を応援したいと思ってきた筆者
としては、この展覧会のタイトルが発する響きに、
ただ単純に反応してしまう … )
この展覧会は四谷アート・ステュディウムの企画で、詩を読んで
それを視覚作品にするというもので、有志の作品が会場に並ぶ。
相澤の作品は、清岡卓行の 「デパートの中の散歩」
( 清岡40才のときの詩集 「日常」 1962 ) に呼応したものだが、
この詩を選んでいること自体が、相澤の創作世界がもつ現生性
を表していて、また同時に、この企画のタイトルとは判然とした
脈絡をもたないようでいて何か響きあっているようなところがあり
面白い。
つまり、詩の選び方も、詩的だ。
相澤は、作品のタイトルもいいな … といつも思わされてきたのだが、
今回は、「必ずしも信じないあるときの」 というタイトルで、清岡の
詩の一行を用いて、作品自体を見たときの印象との間に
しゃれた 「響きのための半絶縁距離」 をもたせている。
鮮やかに浮きあがる赤茶色の ラグビーボール …
ちっちゃな キリン …
そして、いつのまにか若者を中心に日常風景になってしまった
深いモスグリーンの ハット
一見、相互に脈絡なきものたち がかもす 《響き》 …
そこには、当たり前化している日常の 《原寸世界の視覚》 を
「(無意識世界が支えている) 感受性の基盤」 としつつ、
異質な作品構成要素相互の 「形態的共鳴性」 を考えつつ
それらのアイテムが 「〈本来居るべき場所性〉 の消去」 や
生き物の 「物質的ミニチュア化」 といった
決して突出をねらわないひそやかな 《異化》 を働かせる …
かつ、作品構成要素間の空間的な相互配置に
細心の直感的・野性的ジャンプの創造力をさりげなく効かせて、
じわっと響いてくる しゃれた造形詩 をつくっている …
街路に直接面したギャラリーの入り口の大きな引き戸を開けると
すぐそこに相澤の作品があって、ラグビーボールの鮮やかな色が
すぐに目にとまった。
この、何というか、構えのない、風をかもすような軽やかな展示の形
にも、さりげない 詩的な心 を感じた …
今回の作品は、それに関連するすべての特性が協働して、
おおげさではない、日常性につながった 「今 この時」 の詩的香りを
うたっていた。
それにしても、作品の原寸世界がかもすリアリティの強度は、
写真にするとこんなにも失われてしまうのだ ということを
今回も ただただ痛感するばかりである。
写真:筆者撮影
2013年12月20日