変 幻 す る 素 材 に よ る 造 形 ─── 簡素な構成による複雑景 〈明瞭と妙〉│ 畑龍徳作品
機能をもつもののデザインではなく、もっと自由なかたちで
〈おもしろい形〉を生みだしながら、〈今このとき〉という現在進行形
の時空で、真におもしろい形、新鮮な形、観者を宙吊りにする〈とらえ
られない不思議な形〉、あるいは、ほんとうに美しいものに出会った
ときに無心で作品と一体化してしまうことがあるが、そういう〈全的に
完結した単純美〉というのとは異なるもの ─── つまり、ひとつにまと
まっていない〈どこかで開かれたところのある世界〉としての作品……
これまで、そういう〈形をめぐる探索〉を私はしてきた……
作品という具体の形と、ことばによる説明とは、もともと別の世界では
あるが、それでも、ことばによって、 「形をめぐるさまざまな脈絡」 に
ついて考え、無意識下の世界との脈絡に関してあえて直観的な想像を
あれやこれやとめぐらしながら、形や美の深淵に触れようとする
─── そういう人生上のたのしみが私にはある。
ある人がアート作品を見たときに、体験したことのないものを作品に
感じ、惹きつけられ、気持ちが動き、視点の移動に応じて形と空間性を
たのしみ…… そして、ある種の世界観とか人生観といったものまで感じ
とるかもしれない……
とにかく、まずは、自分の手を動かしながら 「〈具体の形〉を生みだす
感覚的で、知的で、情感的な、探索の旅」 に乗り出すこと。
そうしないと、なにも始まらない……
今回の作品に用いられている素材は、アルミメッシュと白色の厚紙の
2種類。
シースルーなアルミメッシュの方は、とても繊細な線材で構成されていて
ひとつひとつの菱形状の開口を囲む線材に角度がついているので、光の
当て方が変われば見え方ががらっと変わるし、見る角度がほんのすこし
変わるだけで材の部分部分の表面の輝/影が反転したりして、全体の景が
意想外な変わりかたをみせる…… 場合によっては、作品の背景の明度に
溶けこんでしまい、作品の部分あるいは全体の姿が消失してしまうこと
さえある……
(→ 同じアルミメッシュを用いた前作 「明滅する瞬間」 のブログを参照
されたい *1)
そのように変幻する形姿は、見る者に不思議感をさそい、その不思議感が
作品から湧いてくるものを、より見えたり、より感じさせたりしてくれる
にちがいない。
作品のもうひとつの素材である白色紙は、これも光線や見る角度によって
背景の白い壁面に同化してしまい、形の輪郭が定かでなくなることがある。
そういうことで、ここに掲載した作品写真を見ると、それぞれの作品の姿
がおおきく変化しているが、すべて、同一の作品をいろいろのアングルで
撮影したものであることを記しておきたい。
作品創りは、自分の〈形に関する美意識〉をつねに働かせながら
試行を重ね、そして、結果としての〈具体の形〉が、とにかく
おもしろいものになることを目指す。
いくらコンセプトが考えぬかれていても、結果の形に魅力がなければ
ダメである。
今回の作品のタイトルは、「明瞭と妙」 としているが、そのタイトルの
意味するところを〈実存形〉に表現するべく目的的に制作をおこなった
─── ということでは、決してない。
「明瞭と妙」 という概念は、人間が生きるこの世界の根源的なふたつの
次元である〈限定〉と〈全体性としての宇宙〉のことを表していて
たとえば、〈記号〉とか〈ことば〉は、限定原理の上に成立している。
一方、たとえば音楽とか味覚とかの世界は、全体まるごとが感受されて
たのしむものである。
科学的思考あるいは正確な思考は〈限定原理〉による明瞭の世界の一方
の極域にあり、芸術は〈妙〉を味わうもう一方の極域にあって、ともに
純化された基底的世界である。
人は、〈明瞭〉と〈妙〉のふたつの世界を、いったりきたりしながら
きわめて複雑な生き方をしている……
こういう〈明瞭〉と〈妙〉というふたつの世界についてのイメージや
概念は、世界観の座標系のようなかたちで、つねに私の頭の中に活性的
に記憶されている。
そもそも今回の作品創りは、一年前に制作したオブジェ 「明滅する瞬間」
に用いたアルミメッシュという新しい素材のさらなる造形の可能性を求め
てスタートした。
そこでは、「相互に異質な特性をもつ〈形体〉の対峙/共鳴(=完結的な
統合ではないもの)」 という〈構成テーマ〉を考えていた。
そうして〈形体の可能性〉を探索してゆく途上で、〈明瞭〉と〈妙〉と
いう興味深いふたつの概念が無意識世界から立ち上がってきて、「物質的
存在としての形のおもしろさ」 をあくまで第一義に考えつつも