手づくりの空間 | 水眠亭とCAFE トワトワト

美 ○ 会う

 

最近 手づくり空間の魅力的な事例に たてつづけにふたつ出会った。

ひとつは 男性がつくったもので、もうひとつは女性の手になるものだ。

 

 

ごく一般的には、男性は、自分の世界にのめりこんでマニアックに

モノや世界を追求し構築する傾向がつよい。

それは、身近な生活の質との関わりよりも、むしろ 「何かむこうの

抽象的な世界」 へのあこがれ(男性的な夢)や追求… 

そして、それにのめりこんでゆくモノトラック性… 

これにたいして 女性は、身近な生活のディテールにひろく関心をもち

それを楽しんでゆく傾向がつよい。

それは、「自己自身のすてきさの意識」 を核にして、生活にまつわる

多様なすてきなる世界への つよい関心(女性的な夢)と行動…

 

生活領域に視点をおけば、女性は 「夢半分、現実半分」 の感じで生き

視野にはいる多様な世界を マルチチャンネル的にあじわってゆく…

これにたいして、男性は、もっぱら仕事にかかわっているうちに 生活

領域のゆたかさをエンジョイする具体の行動からはなれてしまい、

知らぬまに それをたのしむ意識や美学を失いがち…

 

 

 

ところで、今回たまたま出会ったすてきな空間は、男性がつくったのは

住宅で、女性のほうはミニカフェ。 いずれも生活領域の空間だ。

 

 

蛍が生息するという清流に面してひっそりと建つ木造家屋は、じつに

百年以上の歴史をもち、これを、くみとり式トイレを浄化槽方式にする

工事や入りやすいオリジナルの五右衛門風呂をつくることをふくめて

すべての住宅改造を自らの手でやり… 緑深き清流を感じ、暗がりの

生きる独特の空間に仕立てあげてしまった… 

その 〈川の気に包まれた空間〉 は、山崎史朗さんの手になる水眠亭。

彫金をやり、めくるめく万華鏡や茶杓などをつくり、また ベ―シストで

あり、俳人でもある山崎さんは、手打ち蕎麦の名人でもあり、蕎麦は

もちろんだが蕎麦がきにいたってはお菓子のようで うなってしまうほど

おいしい…

自らが求めるものを ぶれることなく実行してきたまさに逸人だ。

串川沿いのその手づくり空間は、「自然態の快」 といったようなものを

実現していて、そこここに山崎さんの眼にかなった上質なモノたちが

しずかにくつろいでいる その 〈部分部分の世界〉 を 目のうつろいに

まかせて ただ たのしんでいる自分…

湯船につかったときのように自分が時空に浸っていて、目と耳と肌

が ここちよく 〈時空の変化〉 をたのしんでいる…

 

暖炉のすぐ近くの椅子にかけて 〈寒気の中の暖〉 をありがたく思い

キャパっシティのおおきなスピーカーから流れる張りのあるクリアな

サウンドにつつまれながら 目は 室内の部分部分を味わい そして

自由に移ろい… 背景に 川の流れの音が 聞こえたり消えたり…

川の緑が正面の窓ごしにたっぷり見えて 夜になると 落葉をのせた

一枚ガラスの天窓から煌煌とかがやくまんまるい月が見えた…

 

 

この空間は、時間をかけて絵を描くように手づくりされたコラージュ

作品であり、そこには、人の手が生みだしたものと自然、そして、

視覚と聴覚と温度感覚のここちよい変化があって、全体が 〈丸い

時間的宇宙〉 になっている。

人の手が生みだしたものといっても、それは、山崎さんの作品で

あったり、山崎さんの眼が選んだものであり、気やすく購入した

ものではけっしてない、ということ…

部屋の片隅に、日本でつくられた最初期のピアノが置かれている

が、ベ―シストの山崎さんは ここでよく仲間とライブをやっている。

そういう音の世界に、手打ち蕎麦をはじめとする自前の料理…

こうなると、もう、空間にゆったりひたって ただ 会話をたのしむ

だけ…

 

 

                                                 

 

 

 

 

 

女性が手づくりしたミニカフェのほうは、店主の沖田悦子さんの

とにかくこまやかなセンスが隅々までゆきとどいた空間だ。

塗装はフラットに仕上げたきれいさではなくて、不均一な表情の

味わいであり、家具類は 古びの美をもったものがそろえられて、

それぞれが異なったデザインである。

空間のそこここにさりげなく配された無数の味わいある小物たちは、

ただ置かれているのではなくて、空間や光との関係の中で独自の

位置をあたえられ、その詩的なひびきを奏でている。

ふと見ると、一隅にかれんな野花がしずかにおかれていたりして…

それらの配置は、計算された…というよりも、直感的なきめかたの

強さを秘めているように感じられた。

CAFE トワトワト という名称は、やわらかで軽やかなひびきをもって

いるが、それはアイヌ語で 「きつねの気配」 を意味するとのこと。

ガラスコップで出された水は、じつはお冷ではなく、お湯だった。

空間づくりと その他の面のこだわりや創造性が、一貫している。

 

 

 

 

 

 

 

 

低彩度な世界や、材質の時間的渋変の中に生成する味のある表情は、

ひとにやすらぎを感じさせ、異質的なもの同士を調和共存させる性質を

もつ。

そうした性質が生かされた空間としてふたつの事例は共通性をもつが、

水眠亭の方は ただただ浸る 〈まるい時空〉。 

これにたいして、トワトワトの方は、構成要素がどちらかといえば抽象的

な性格を有していて、つまり、かつて用途をもっていた 〈ごく身近なアイ

テム〉 で空間が構成されていて、 見る側がかってにふわっとした物語を

想像することはあっても、そこには 高価なアンティーク類にみられるよう

な強い象徴性はなく、だから、そうした部分要素の稠密な構成が、写真

の中でこそ可能な 〈魅力的構成〉 を遊ばせてくれるところがあった。

 

 

 

*写真はいずれも CAFEトワトワト (筆者撮影) 

 なお トワトワトは 2014年7月に営業を終了しています。