内景のオブジェ │ 絵を描くようにして形を創る… │ 畑龍徳作品

美 ○ 創造

 

 

 

 

 

 

 

頭の中の「先行する形のイメージ」にまかせて形を創ってゆくのではなく

石塑粘土という「手による造形にかなり抵抗するところがある《塑性》」

とつきあい、いたわるような感じで、《手技のたわむれ》というルースな

おさまりを良しとして形を創ってゆく…

この作品はそんなオブジェで、筆者の造形志向の芯にある「シンプルと

シャープの力」をもっぱら生かしたものとはひと味ちがった「あたたかみ

を湛えたフォルム」が結果として生まれてくれた。(*1)

 

 

作品は、3つの部分から構成されていて、それらを合体させると最初に

掲載されている写真のように「側面に亀裂が入ったやや平べったい繭形」

になる。

開けて中を覗きたくなるその繭形の上側と下側のシェルの内側には

「ヒトが生を展開している基盤としての二つの世界」が内包されている。

そして、その二つの根元的世界の間に、「〈守存領域〉の確保」、つまり

地球上の多様な気候風土と表裏一体に脈絡しつつ、個々のヒト、および

さまざまの社会の生存独自性の持続を支える「空間の住み分け」という

テーマを水平面の抽象造形としたものが挿入されている。

 

これらの全体は「地球上に展開する「ヒトの生の根底」を全的に形象化

した《宇宙繭》」とでもいえるような包括的な意味合いの作品になって

いる。

このようにきわめて大きい抽象的事象を、具体の形に抽象する ────

こういう創作は、筆者にとってはじめての試みであった。

 

 

 

 

 


構築                              自然

 

 

 

 

繭形の上側シェルの内側には、「無限の脈絡の中にある生命体を含む

《自然》」の性状を抽象的に表現しており、下側シェルの内側には

「ヒトによって構築されてきたさまざまなもの」のありようがメタファ

として抽象的に表現されている。

 

 

ヒトの生にとって

 

○ 《未知および不可知の無限の脈絡の中にある自然界》

                    →  根元的なゆたかさ│物足りなさ

 

○ 《ヒトによる限定的世界としての進化の世界》

   →  合目的に導かれる可能性│ある意味のかたさと全的な面での不完全性

 

 

 

このニュアンスを、シェル内の形態に滲ませている。

 

 

〈限っての営為〉―― ヒトの世界の思考や構築などは、すべてこれである。

しかし、生命体やその内面をふくむ自然界は、ヒトによって意識されない

あるいは、隠された「無限の脈絡」のなかにあり、これをどうこうすること

はできない超越的な世界である。

自然界はほんとうにゆたかだが、しかし、それだけではヒトの生がなり

ない…   ものたりなさがある…

 

ヒトは、自ずと探索し、創造する…

しかし、社会制度などををふくめ、ヒトによる〈構築〉には、ある意味の

「不備やカタサ」がともなってしまう。

 

ヒトは、新しい世界を求め、そして、馴染み、飽きる…

〈変化や深化の時空〉という個々の人生…

そして、その集合体としての社会…

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒトは、他者や環境とつながりをもち、ゆたかさを求めて生きるが

そのつながりの総体は、集団(家族、民族、同質文化圏内の人々…)の

性格や規模のレベルに応じて、それぞれに適当な〈空間領域〉を必要と

する。

そして、そういう空間領域の〈占有〉にかかわるそれ自体つねに変化して

ゆく複雑な脈絡と、異種領域間のぶつかりあいの問題… 

 

 

いま、ヒトの行方は…?

 

地球の行方は…?

 

 

本作品を見て、「これは、地球に亀裂が入っている ── そのように見え

る」 と、アーティストの周豪さんが感想を語ってくれた。

その言葉が、印象に残った…

 

この作品に用いられている石塑粘土は、造形後、含水の自然蒸発によって

収縮が進行する。その収縮で、《宇宙繭》の側面の三つのパーツの重なり

合いの部分に、自然に、意想外な隙間が生まれた。

 

生命体も、地球も、水と大気に支えられたそれは奥深い《循環》によって

生かされている…

 

 

 

ヒトの内面が目指すエネルギーと、向こうからやってくるもの ──

それらの共合としてのすべてのヒトの営為…

 

 

 

 

*1──   内景のオブジェ │ ヒトの行方──その可能性とあやうさ

               制作・発表:2018年

 

 

写真:筆者撮影